歴史
築城の名手・藤堂高虎の居城・今治城。
関ヶ原の戦いにより、伊予半国20万石に加増され、伊予
宇和島から移り今治城を築城した。
慶長15年には伊勢・伊賀22万石に加増・転封されるが、今治城は藤堂氏の飛び地領として養子の藤堂高吉が2万石で領し、居城とした。
今治城は堀に海水が引かれた近世の平城で、大手二ノ丸に藩主の館を、三ノ丸大手口の表門に鉄御門(くろがねごもん)、馬出(搦め手)口に山里門を置いていました。藤堂高虎は、慶長7年(1602)6月から今治城の普請を開始、慶長9年に完成しました。同時期に徳川家康の天下普請に乞われ、各地の多くの築城の縄張りに関与しています。従って、今治城は徳川系城郭の雛形と言われています。
高虎の城づくりは、高石垣、広い堀、大手と搦め手を明確化、虎口の出入口には桝形・方形の区画を設け、郭は四角形の構成を基本とすることが多い等の特徴が見られます。高虎は豊臣秀長、豊臣秀吉、徳川家康と多くの主君に仕え、城づくりと現場の体験から、高虎独自の工夫と、当時の最先端の技術を活かし、築城の名手として知られています。
自らの居城としては、紀伊猿岡城、伊予
宇和島城・
大洲城・今治城、伊勢
津城・伊賀
上野城があります。豊臣政権下では秀長の命で、
出石城、大和
郡山城、聚楽第等を、秀吉の命では伏見城等を、徳川政権下では
膳所城、再築
伏見城、
江戸城、丹波
篠山城、再築丹波
亀山城、再築
二条城、再築
和歌山城、再築
大坂城、
淀城などを築いています。
今治城は海浜に立地する大規模な平城、層塔式天守、桝形虎口、舟入等城郭築城上、革新的なものが認められています。主要部を水際に置き、陸地部に郭を広げていく城郭縄張りは、
坂本城、近江
大津城、
膳所城、
彦根城等の織豊期につくられた琵琶湖湖畔の城郭に多く見られ、これらの城の縄張りを祖形にしたものと考えられます。
慶長末から寛永年間にかけて徳川幕府は、巨大な城郭を天下普請として驚くべき短期間に築いています。層塔式天守等に見られる、単純で規則的な積み上げ構造は用材の規格化を容易とし、工期短縮も可能とするなど、高虎は城郭構築技術の発展に大きく寄与したと思われます。
<現地案内板より>
コメント
オススメ ☆☆☆☆
難易度 ☆☆☆☆
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 愛媛県今治市通町3丁目1-3
- 通称
- 吹上城、吹揚城
- 形式
- 海城
- 遺構
- 模擬天守、模擬櫓、石垣、堀
- 築城者
- 藤堂高虎
- 主要城主
- 藤堂氏
- 築城年
- 慶長7年 (1602)
- 廃城年
- 明治6年 (1873)
- 開城時間
- 9:00〜17:00
- 入城料
- 500円(天守閣内)
- 休城日
- 12月29~31日 (定休日なし)
- 100名城スタンプ
- 天守閣内 (9:00〜17:00、休み:年末3日間)
- 駐車場
- あり (有料:1時間100円)
- アクセス
- 電車:JR予讃本線『今治駅』より 徒歩15分
- 車:しまなみ海道『今治IC』より 約10分