1586年、豊臣秀吉は明智光秀の居城であった坂本城を廃し、浅野長政に命じ大津城を築城させる。
城主は増田長盛、京極高次と変わり、関ヶ原の戦いで高次は東軍に属した。しかし、周辺の諸将は西軍に付き、大軍に囲まれた高次は籠城に追い込まれる。結果的に、関ヶ原の合戦前日まで持ちこたえ、西軍に降伏することになったが、戦上手で知られる立花宗茂をはじめとする西軍諸将は本戦に参加できず。これが、東軍勝利の遠因となったとも言われる。この戦功で、京極高次は小浜に9万2000石の加増、激戦で損傷した大津城は廃城、近くに膳所城が築城されることになる。