歴史
八上城跡は、戦国時代に多紀郡(現丹波篠山市)を支配した波田野氏の5代にわたる居城である。初代清秀は、応仁の乱(1467~77)の戦功によって、室町幕府管領・細川政元から多紀郡を与えられ八上城へ入る。
その後、波田野氏累代は、戦国時代を通して勢力を蓄え、大永7年(1527)に管領・細川高国を放逐、天文7年(1538)に丹波守護代・内藤氏を攻略、永禄年間(1558~69)には三好長慶や松永久秀と戦いを繰り広げる。
波田野氏は、まず奥谷城(蕪丸)を、続いて本城の八上城、更に殿町にあった城下町を守るため支城の
法光寺城を築き、一帯を一大要塞化し、大規模な戦乱に対応した城造りを進める。
天下布武を目指す織田信長が上洛すると、5代の秀治はそれに従わず、信長が派遣した明智光秀の攻勢を受ける。光秀は八上城の周囲に付城を巡らし、八上城を徹底包囲する。天正7年(1579)6月、1年にわたる籠城戦のすえ八上城は落城し、秀治ら兄弟3人は
安土城したに移され落命する。
落城後の八上城は、前田茂勝ら豊臣氏に縁する大名の城として使われる。しかし、関ヶ原の戦いによって、徳川家康が天下を押さえると、豊臣秀頼の拠る
大坂城を包囲する為、慶長13(1608)に、江戸幕府から
篠山城築城の命令が出され、八上城は100年余りにわたる歴史をおえる。<現地案内板より>
コメント
来年(2020)の大河ドラマ『麒麟がくる』放映前に無料駐車場が整備されたとの事で、怪しい天気のなか登城してきました。登山道は整備されているので登り易いのですが、中の壇までの段が高く、かなり体力をつかいます。久々の城巡りの為か加齢なのかは定かではないですが、途中でゼエゼエ…夏場だと地獄です。登城口には約45分との事でしたが、25分で本丸へ辿り着きました。途中の看板に約〇分の表示がありますが、全然当てになりません。
駐車場がなく、どこかに駐車し早々と退散しなければならない…という事で躊躇していましたが、念願の初登城を果たせました。本丸奥は未踏で、結局光秀の母の磔場は分からずじまいで帰ってきました。
オススメ ☆☆☆☆
規模 ☆☆☆☆
難易度 ☆☆☆☆
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県丹波篠山市八上上字高城山(国史跡)
- 通称
- 八上高城
- 形式
- 連郭式山城(標高 462m/比高 240m)
- 遺構
- 曲輪、石垣、土塁、竪堀、堀切
- 築城者
- 波多野元清
- 主要城主
- 波多野氏、明智氏、前田茂勝
- 築城年
- 永正5年 (1508)
- 廃城年
- 慶長14年(1609)
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- 無料駐車場あり(約20台)
- アクセス
- JR福知山線『篠山口駅(東口)』より7.4km(車で14分)
- 舞鶴若狭道『丹南篠山口IC』より7km(車で12分)