歴史
<須谷城砦群>
須谷地区に所在する円通寺周辺の尾根には、「須谷城砦群」とでも云える城郭群が存在する。此れ等の小規模城郭はその分布から円通寺との関わりが思考され、円通寺を防禦する為の城郭と判断される。此れ迄に確認できた城郭は、
西谷城、
俵谷城、
丑引城、ワンジャ城の4城である。
<ワンジャ城>
ワンジャ城は円通寺の北側、標高68mの尾根先端部に所在する。堀切(幅4m・深さ2~4.5m)・竪堀(幅3.5m・長さ9m)で
背後を切断した主郭1は、比較的規模が大きく20×40mを測る。しかし、他の曲輪は規模も小さく(曲輪2=6×15m、曲輪3=
6×8m、曲輪4=9×13m)、曲輪が点在しているのが特徴的である。
ワンジャ城も、南北朝から室町期に構築した城を、戦国期に堀切・竪堀で部分的に改修したものであろう。
円通寺は天正8年、秀吉(秀長)によって焼失させられたと云う伝承も有している。この時、須谷城砦群をどの様に機能させようとしたのか、興味がもたれる。<豊岡市の城郭集成Ⅰより>
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データ
- 所在地
- 兵庫県豊岡市竹野町須谷字ワンジャ
- 通称
- ─
- 形式
- (標高 68m/比高 約m)
- 遺構
- 曲輪、堀切、竪堀
- 築城者
- 不明
- 主要城主
- 不明
- 築城年
- 南北朝~室町期?
- 改修年
- 戦国期?
- 廃城年
- 不明
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- 未確認
- アクセス
- JR山陰本線『竹野駅』より