小城鼻城は奈佐川右岸、宮井集落東側、細長い尾根突端の標高約39~20mに所在する。山裾との比高は約32mある。城域は細長く、東西約40m、南北約270mを測る。城主や城史に関する伝承は不明である。
中略
小城鼻城は、主郭部と端部に特徴的にみられる、帯曲輪を切って堀切や竪堀を構築した遺構は戦国末期の縄張りである。また、主郭部と端部の間にみられる削平の不十分な曲輪は南北朝から室町期の様相である。全体的にみると、城は南北朝期に築城起源を有し、戦国期に改修されたものと判断される。
城は奈佐川を挟んで宮井城の対岸にあり、奈佐谷全体を見通すことができる恰好の位置に占地している。小谷茂夫氏が「宮井城の見張りの砦と思われる」(『兵庫県の中世城館・荘園遺跡』)としている見解は首肯できよう。また、城は岩井谷をも抑える位置にあり、対岸の尼城と共に相い連携して、岩井谷を守備する役割も担っていたものと思われる。<豊岡市の城郭集成Ⅰより>