歴史
福島城は、慶長12年(1607)に完成され、同19年に廃城となった。僅か7年間の存在でしかなかったが、室町時代から江戸時代に移る当時の築城形式を示す典型的な大城郭である。その間に城主は掘忠俊・松平忠輝の2代にわたったが、何れも一国一城の越後太守であった。
慶長8年、徳川家康が江戸幕府を開いてから、天下の諸侯は
春日山城のような山城の必要がなくなり、掘氏も福島城へ移ったのである。
慶長15年(1610)、堀氏が改易となり、徳川家康が六男・松平忠輝を信州・川中島から移し、75万石の福島城主とした。しかし、忠輝も4年後、福島城を廃し
高田へ新城を築いて移ってしまった。城を移した理由は明らかでないが、毎年、雨期になれば関川、保倉川が氾濫するからだと云う誠に短命な城であったが、図によって日本海、関川・保倉川の二河の地理を考えたその規模の大きさを、かつての野面積の石を用いた左の碑壇の石垣を見ることによって、豪壮な城であったことを知ってほしい。<現地案内板より一部編集>
コメント
石碑は古城小学校内(校門入って左手)にあります。
オススメ ☆☆
規模 ☆☆
アクセス ☆☆
データ
- 所在地
- 新潟県上越市港町2丁目
- 別称
- ─
- 形式
- 平城
- 遺構
- ─
- 築城者
- 堀秀治
- 主な城主
- 堀秀治、堀忠俊
- 築城年
- 慶長12年 (1607)
- 廃城年
- 慶長19年 (1614)
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- なし
- アクセス
- JR信越本線『直江津駅』より