歴史
高田城は慶長19年(1614)に徳川家康の六男・松平忠輝の居城として天下普請によって築かれた。縄張りは忠輝の舅・伊達政宗が担当した。
高田城は、高田平野にある菩提ヶ原に築かれた平城で、約220m四方の本丸を取り巻くように二ノ丸、南に三ノ丸、北に北の丸を配し、関川、青田川などを外堀として利用した。全ての曲輪に土塁が採用され、石垣は築かれなかった。石垣が造られなかったのは、低湿地の軟弱な地盤が石垣の重量を支えられないと判断されたため等諸説あります。
天守は建てられなかったが、本丸南西隅の土塁上に当時『御三階櫓』と呼ばれた三重櫓を構築し、天守閣にかわる城の象徴になっていましたが、廃城後、明治19年(1886)頃取り壊されました。平成5年に復元されたこの三重櫓は、資料調査と発掘調査の成果を充分に踏まえて再建されたものです。内容は三層三階で、東西5間(約9.1m)、南北6間(約10.9m)を基底とし、高さ15m程で外観は御殿風造りを基調としています。屋根は1層・3層が入母屋、2層が寄棟形式で、1層・3層に切妻屋根の出張りを付けています。1階・2階は展示室で、3階は展望室になっています。櫓の東側に付随して50m程の塀も同時に再建されました。
尚、当時の三重櫓の外観は不明だが、
江戸城の富士見櫓に似た外観であったと伝えられています。<現地案内板より一部編集>
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オススメ ☆☆
規模 ☆☆☆
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 新潟県上越市本城町(高田公園)
- 別称
- 鮫ヶ城、関城、高陽城
- 形式
- 平城
- 遺構
- 復興櫓(御三重櫓)、曲輪、土塁、堀
- 築城者
- 松平忠輝
- 主な城主
- 松平氏、榊原氏
- 築城年
- 慶長19年(1614)
- 廃城年
- 明治4年 (1871)
- 開城時間
- 常時 (三重櫓内資料館:9~16:30)
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし (三重櫓内資料館:月曜、祝日の翌日)
- 駐車場
- 無料駐車場あり
- アクセス
- JR信越本線『高田駅』よりバス 『高田公園』下車