歴史
加納城は文安2(1445)年に斎藤利長によって
川手城(当時は沓井城)の備えとして築城された。
1600年の関ヶ原の合戦後、この地は『岐阜』から『加納』に改名され、奥平信昌により沓井城が大改修され加納城となった。
徳川家康は、慶長6年(1601)3月、娘婿の奥平信昌を加納城主として10万石を与え、また亀姫の粧田として2千石を給した。
築城は
岐阜城落城の翌年で、岐阜城の館邸を加納に移して修築した。本丸、二之丸、三之丸、厩曲輪、南曲輪(大藪曲輪)などを備え、関ヶ原戦後初の本格的城郭であった。
加納城歴代城主は、奥平氏の後、大久保氏、戸田氏、安藤氏と変遷し最後の永井氏の時代に明治維新を迎えた。明治2年加納城第16代藩主・永井肥前守尚服(なおこと)が版籍を奉還し、加納藩は同年7月14日に廃藩に至った。
加納城跡は、この本丸の他は二之丸北側の石垣を僅かに残している。<現地案内板より一部加筆>
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オススメ ☆☆☆
難易度 ☆☆
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 岐阜県岐阜市加納丸之内
- 通称
- ─
- 形式
- 平城
- 遺構
- 土塁、石垣
- 築城者
- 斎藤利長、奥平信昌
- 主要城主
- 斎藤利長
- 築城年
- 文安2年 (1445)
- 廃城年
- 明治4年 (1871)
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- 年中無休
- 駐車場
- 加納公園駐車場 (無料)
- アクセス
- JR/名鉄『岐阜駅』よりバス 『加納中学校前』下車
- 名鉄名古屋本線『加納駅』より 徒歩15分