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全国気ままに城めぐり♪

日本お城めぐりの旅

由良台場YURA FORT 


歴史

 鳥取藩台場跡は、江戸時代末期、文化5年(1808)のフェートン号事件、文政8年(1825)の異国船打払令など諸外国との緊張が高まる中、沿岸警護のため築造された。その築造場所は、鳥取藩の海岸線東西160km(40里)の内、重要港湾を控えた8ヶ所(浦富、浜坂、賀露、橋津、由良、赤碕、淀江、境)である。
 由良台場跡は、藩倉が置かれた由良湊に造られている。この台場の築造は、高島秋帆(しゅうはん)に西洋砲術を学んだ武信潤太郎総指揮のもと文久3年(1863)から行われたが、藩財政が窮乏していたため、藩からの出資金無しで築造工事は進められた。男女問わず16歳から50歳までの農民が動員され、その延べ人数は7万5千余人に及んだとされ、その人夫賃等の費用は中・大庄屋、豪農らの献金に賄われたと伝えられる。文久4年に完成した台場は、東西125m、南北83m、周囲に高く土塁を巡らせ、その高さは4.5mにも及ぶ。台場内側は3段になっており、砲座を中段から上段にかけて設け、そこに計4門の大砲が配置されていた。大砲は、由良湊近くの六尾反射炉で製造されたもので、其々60斤砲、24斤砲、18斤砲、5寸径砲であった。幕末動乱期における鳥取県の歴史を知る上でも資料的価値の高い貴重な史跡である。<現地案内板より>

コメント

オススメ ☆☆
規模   ☆☆☆
難易度  ☆☆☆
アクセス ☆☆☆☆


データ

所在地
鳥取県東伯郡北栄町由良宿
通称
形式
台場
遺構
土塁
築城者
鳥取藩
主要城主
築城年
文久3年(1863)
廃城年
開城時間
常時
入城料
無料
休城日
なし
駐車場
あり(無料)
アクセス
JR山陰本線『由良駅』より1.7km(車で5分) 
山陰自動車道『はわいIC』より1.4km(車で約3分)

日本100名城
現存12天守
番外編

個人データ
初登城日:2021.5.4
最終登城日:2024.5.4