歴史
今から約400年前、全国統一を果たした豊臣秀吉は、朝鮮半島と中国大陸をも侵略しようとして1592~1598年にかけて文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)を起こしました。この時、秀吉が配下の諸大名に命じて出兵基地として築かせたのが名護屋城です。総面積約17万㎡に及ぶこの巨城と各地から参集した大名の陣屋の跡は、『名護屋城跡並びに陣跡』として、国の特別史跡に指定されています。
当時では
大坂城に次ぐ規模をもっていた名護屋城の構えは基本的に三段の渦郭(かかく)式といえるもので、天守台のある本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸、弾正丸、東出丸を置き、北方下段には遊撃丸、水手曲輪、更にその下段に山里丸と台所丸を配置しています。門は、大手口ほか5ヶ所あり、北面には通称・鯱鉾(しゃちほこ)池といわれる堀もわたしています。<現地案内より>
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規模 ☆☆☆☆☆
難易度 ☆☆☆☆
アクセス ☆☆☆☆
データ
- 所在地
- 佐賀県唐津市鎮西町名護屋
- 通称
- ─
- 形式
- 平山城
- 遺構
- 曲輪、石垣、空堀
- 築城者
- 豊臣秀吉
- 主要城主
- 豊臣秀吉
- 築城年
- 天正19年(1591)
- 廃城年
- 慶長3年 (1598)
- 開城時間
- 常時 (名護屋城博物館:9時~17時)
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし(名護屋城博物館:毎週月曜、12月29~31日)
- 駐車場
- あり(大手門前駐車場:無料)
- アクセス
- JR唐津線『唐津駅』より バス/城址前