歴史
下赤坂城は、標高185.7m、比高61.4mで、金剛山地から延びる丘陵の自然地形を利用して築城された中世山城です。この城は鎌倉時代後半から南北朝時代にかけて活躍した楠木正成(1294?~1336)によって築城されたと云われています。
元弘元年(1331)、鎌倉幕府倒幕計画が発覚し、後醍醐天皇が笠置山へ逃れました。正成はこれにあわせてこの地で挙兵し、護良親王も当地に身を寄せたと伝えられています。幕府軍が攻め寄せてきた合戦の様子は『太平記』に記述されています。しかし、にわか造りのため落城、正成は金剛山へと後退しました。
その後、元弘2年(1332)に正成は再起し、この城を奪還しました。再びこの城は落城しますが、
千早城での籠城の間に鎌倉幕府は滅亡しました。
城としての遺構は明確になっていませんが、千早赤坂村役場の上付近が主郭(本丸)であったと云われています。 <現地説明板より>
コメント
このご時世に『校内に立ち入る(通る)』というのが、どうにも…でしたが、
授業中の為(?)草刈のおじさん以外には誰とも会わず、おじさんの白い目以外はなんてことありませんでした。
校舎と校舎の間を通る感じが難とも変な感じでしたが、一瞬なので
石碑のみで、あとは棚田が一見の価値あり。
オススメ ☆☆☆
難易度 ☆☆☆
アクセス ☆☆☆☆
データ
- 所在地
- 大阪府南河内郡千早赤坂村森屋
- 通称
- 赤阪城
- 形式
- 山城 (標高 185.7m、比高 61.4m)
- 遺構
- ─
- 築城者
- 楠木正成
- 主要城主
- 楠木氏
- 築城年
- 元弘元年 (1331)
- 廃城年
- 延文5年 (1360)
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- 石碑付近に駐車場スペースあり (約3台)
- アクセス
- 南海高野線『河内長野駅』、近鉄長野線『富田林駅』より バス
- 『赤阪中学校前』下車 徒歩5分