歴史
安良城は円山川支流の出石川右岸、安良集落の東側、標高約70mの山頂に所在し、山裾を六方川が取り巻いている。集落との比高は約65mある。城域は東西約320m・南北約320mを測る大規模城郭である。
城主は安良氏であるという。弘安8年(1285)の「但馬太田文」には、八幡宮領安良別宮の下司として安良太郎安景・同次郎政景の名がみえる。また、正平17年(1362)南朝軍の長九郎左衛門・安保信禅は、但馬守護仁木頼勝・安良十郎左衛門が籠もる城(安良城)を攻めている(「但馬守護仁木弾正少弼、安良十郎左衛門、将軍方にて立て籠もりたる城未だ落ちざりけり云々」「太平記」)。
この史料から、安良氏が鎌倉末期から南北朝期にかけて代々石清水八幡宮の下司職を務め、城郭を構えていたことが分かる。しかし、その後の安良氏の動向は不明である。
中略
安良城は山頂の主郭から放射状連郭式の城郭で、その城域も広いところから、国人クラスの城郭である。しかし全体的には曲輪は大きくなく、規模の大きいものは主郭と帯曲輪を除けば5つの曲輪くらいである。尾根に飛び飛びに小曲輪を配置した縄張りは南北朝期に築城起源を有する。その後主郭周辺を中心に室町~戦国初期に改修し、更に戦国末期に堀切・竪堀などによって部分的に改修されたものと推察される。
安良城は対岸の
伊豆城・
福居城と共に出石盆地の北口を塞ぎ、豊岡方面から出石に入る街道を守備する役割を担っていたものと推察される。<豊岡市の城郭集成Ⅱより>
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難易度 ☆☆☆
アクセス ☆☆☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県豊岡市出石町安良字宮下
- 通称
- ─
- 形式
- 連郭式山城 (標高 70m、比高 65m)
- 遺構
- 郭、土塁、堀切、竪堀
- 築城者
- 不明
- 主要城主
- 安良十郎左衛門
- 築城年
- 南北朝時代?
- 廃城年
- 不明
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- スペース有 (八幡神社前に1台、道路挟んで向かいに広い路側帯あり)
- アクセス
- JR山陰本線『豊岡駅』より 自動車で約25分
- 北近畿豊岡自動車道『日高神鍋高原IC』より