歴史
1、位置と城史
上山城は円山川左岸、上山集落北側の尾根突端、標高55.6mに所在する。集落との比高は約50mを測る。城域は小さく、東西約85m、南北約20mを測る過ぎない。
伝承によれば、城主は上山氏で、
鶴城主・田結庄氏の家臣であった。上山左衛門・平三父子は天正3年(1575)の野田合戦において田結庄是義方として、竹野
轟城主・垣屋豊続らと戦って敗れ、衰えたという(『但馬の城』)。
2、城の構造
城は、主郭から連郭式に5段の曲輪を配置した単純な縄張りで、堀切や竪堀などは構築されていない。
標高55.6mに位置する主郭Ⅰは12×14mあり、その背後(北西側)には高さ4mの切岸と鞍部を削平した曲輪Ⅱ(20×18m)を構築している。主郭Ⅰの前面(南東側)には、比較的大きい曲輪Ⅲ(17×20m)と曲輪Ⅳ(12.5×7m)・曲輪Ⅴ(12×4m)を配置している。各曲輪間の段差は、1.5×2.5mと低い。
3、まとめ
上山城は、連郭式に曲輪のみを配置した単純な縄張りで、室町期に築城されたものであろう。しかし、城主は戦国期まで存続しており、戦国期になっても城地の移動とか改修を行わなかった事例として考えることができよう。
位置的には、城は円山川に面し、伊賀谷から上山を経て城崎に至るルートを押さえる役割を担っていたものと思われる。
尚、上山城について『内川村誌』には、「頂部から尾根伝いに凡そ50m下ると、長さ20m余りの細長い平坦地郭があり、その両端は堀切が設けられている。また、頂部から凡そ8m尾根伝いに上ると土塁があり、そこには幅4m、深さ5mの大きな堀切が造られている。」と記されている。この城は、筆者が『兵庫県の中世城館・荘園遺跡』を基にして確認した城郭とは異なるようである。今後調査を行う必要がある。<豊岡市の城郭集成Ⅰより>
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データ
- 所在地
- 兵庫県豊岡市城崎町上山字岡ノ坊・岡ノ奥
- 通称
- ─
- 形式
- (標高 55.6m/比高 50m)
- 遺構
- 曲輪、土塁、堀切
- 築城者
- 不明
- 主要城主
- 不明
- 築城年
- 室町期?
- 廃城年
- 不明
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- 未確認
- アクセス
- JR山陰本線『城崎温泉駅』より
- 北近畿豊岡豊岡自動車道『日高神鍋高原IC』より