歴史
(城史)
鶴城は南北朝期から戦国期にかけて円山川下流域に勢力を振い、『山名四天王』の1人に数えられた国人・田結庄氏の居城である。伝承では、永享年間(1429-1441)の但馬守護山名宗全による築城であるという。天正3年(1575)10月に起こった野田合戦で垣屋豊継らに攻められ城主・田結庄是義は、菩提寺の(旧)正福寺で自害した。その後、天正8年(1580)まで豊継の支配するところとなった。
(縄張)
鶴の後尾部にあたる主郭Ⅰの背後に2段の堀切で切断して城域を確保し、北西方向には土塁を多用した曲輪を配置し、南方向には大きい曲輪(Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ)を配している。
愛宕神社南側の尾根には小曲輪を多用し、曲輪Ⅵの辺りには土塁と竪堀で防御している。特徴的なのは主郭Ⅰの北側と東側斜面には戦国期特有の畝状竪堀を設けて防御を堅固なものにしていることである。城域は、南北660m東西460mを図る大規模なもので、国人・田結庄氏に相応しい規模と縄張りを有し、但馬でも有数の城郭である。
(愛宕神社・宝城寺跡)
元和5年(1619)年、城跡に愛宕大権現を勧請、別当寺として宝城寺が置かれ、豊岡城下の辰巳にあって歴代領主家の祈願所となった。明治以降、宝城寺は廃され、代って愛宕神社が置かれた。<現地案内板より>
コメント
さすが山名四天王(田結庄是義、垣屋続成、八木豊信、太田垣輝信)の居城…でしょうか。
オススメ ☆☆☆☆
難易度 ☆☆☆
アクセス ☆☆☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県豊岡市山本
- 通称
- ─
- 形式
- 山城 (標高 112m、比高 110m)
- 遺構
- 郭、土塁、竪堀、堀切、井戸
- 築城者
- 山名宗全
- 主要城主
- 田結庄(たいのしょう)氏
- 築城年
- 永享年間(1429-1441)
- 廃城年
- 不明
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- 有 (八坂神社鳥居前に1~2台駐車可)
- アクセス
- JR山陰本線『豊岡駅』より 車で約15分