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全国気ままに城めぐり♪

日本お城めぐりの旅

水上陣屋MINOKAMI JINYA


歴史

 水上代官所は円山川左岸、水上集落北側(日高東中学校グラウンド南側)の山裾、標高約25mを測る小高い舌状台地に所在する。代官所は旧道が西から東へ下り、直角に北側の山本集落へ抜ける街道沿いに位置する。
 寛文6年(1666)第4代出石城主・小出吉英(5万石)の死後、その遺領を長男吉重が45,000石で継ぎ、残る5,000石を3人の弟に分封した。即ち、二男英本に出石郡2,000石(倉見小出家)、三男英信に養父郡2,000石(大薮小出家)、四男英勝に気高郡1,000石(山本小出家)が与えられ、旗本小出三家が成立した。四男英勝は知行5ヶ村(山本・水上・八代中・西芝・祢布東組)を得て、山本に陣屋を構え、水上に代官所を置いた。
 しかし、文化11年(1814)の伊能忠敬「測量日記」によると、「水上村、小出助四郎陣屋あり、今は此所に不居、家番もなし、水上に引移と云う」と記されているので、この頃には水上村に代官所だけが存在だけが存在したようである(『兵庫県の地名Ⅰ』平凡社)。また山本陣屋のあった場所を「御屋敷」と伝えているが、再三の道路拡張で削り取られ、今はその一部を残すに過ぎない。また、山本小出家の菩提寺は山本の法花寺で、そこに小出家代々の位牌20数体が祀られている(『但馬の城』但馬文化協会)。
 山本小出家の代官は三木家で、寛延2年(1749)から明治維新まで代官職を勤めた。三木家の墓所は、代官所背後の山裾に設けられていた(現在は他所に移転している)。現在、代官所跡には、三木家の事績を記した記念碑が建立されている。

中略

 位置的に、代官所は尾根をバックに建設されているようであるが、背後(西側)の尾根は大規模古墳が密集するものの、曲輪などの城郭的な平坦面は形成されていない。
 また代官所は、門(表・裏門)から判断すると南側が正面となるが、高石垣は東側に構築されている。これは代官所が、地形的に西側から東側へ下がる緩斜面に造成されたことと、東側の通路コーナー部分に既に民家など存在していたことに起因するのかも知れない。<豊岡市の城郭集成Ⅰより>


コメント

オススメ ☆☆
難易度  ☆
アクセス ☆☆☆


データ

所在地
兵庫県豊岡市日高町水上字竹下
通称
形式
陣屋
遺構
石垣、土塁
築城者
水上小出家
主な城主
水上小出家
築城年
寛延2年 (1749)
廃城年
開城時間
常時
入城料
無料
休城日
なし
駐車場
あり (水上公民館敷地内)
アクセス
JR山陰本線『江原駅』より 徒歩15分/バス『東中学校』下車 徒歩3分
北近畿豊岡自動車道『日高神鍋高原IC』より

日本100名城
現存12天守
番外編

個人データ
初登城日:2013.2.7
最終登城日:2013.2.7