歴史
出石城は慶長9年(1604)に小出吉英によって
山頂の城を廃して築かれたもので一国一城制による但馬唯一の城です。
平山城に分類され梯郭式と云われるように有子山の麓に上から稲荷郭、本丸、二の丸、二の丸下の郭三の丸と梯子を立てかけた様に城を築いています。また東には山里郭を設けて有事に備え、三の丸周囲には山から堀切で水を引き、内堀を廻らせ北に大手門、東西にもそれぞれ東門、西門を設け天守閣は築きませんでしたが、隅櫓や多門を設けて要害としました。
城主は小出氏が9代(100年)、松平氏1代(10年)、仙台氏7代(160年余)と続き明治の版籍奉還まで270年間58,000石の本城として、また但馬第一の雄藩として威容を誇りました。
最上段の稲荷郭には城の鎮守稲荷神社を祀り、本丸、二の丸には宏壮な御殿を建て渡り廊下で連結させていました。また本丸には仙石公の藩祖・仙石権兵衛秀久を祀る感応殿や昭和43年に復元した東西隅櫓があり往時の面影を偲ばせてくれます。
=御対面所跡=
この場所(三の丸)には出石藩主が居住し、政務を執る「対面所」と呼ばれる施設がありました。
出石城が築かれた当初、出石藩主は他の御城と同様に城の中心にある本丸に御殿を建てて此れを住まいとしていました。
ところが、出石城が南に直ぐ山を背負い、陰湿であった為か、国替えによって新たに藩主に着任した松平忠徳は、元禄15年(1702)に三の丸の此の場所に「対面所」を建てて移り住み、以後歴代の藩主は此の対面所に居住し、政務を執るようになりました。
建物東側には藩主や家族の生活する部屋が、西側には藩主が家臣たちと対面する部屋や、家老等の侍が事務を行なう部屋が並んでいました。<現地案内板より>
コメント
オススメ ☆☆☆
規 模 ☆☆☆
難易度 ☆☆
アクセス ☆☆☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県豊岡市出石町内町
- 通称
- 高城
- 形式
- 平山城
- 遺構
- 現存家老屋敷、復元櫓(2基)、曲輪、石垣、堀、辰鼓楼
- 築城者
- 小出吉英
- 主要城主
- 小出氏、松平氏、仙石氏
- 築城年
- 慶長9年(1604)
- 廃城年
- 明治4年(1871)
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 続100名城スタンプ
- いずし観光センター
- 駐車場
- 大手前駐車場(1回400円:9~17時(70台))
- アクセス
- JR山陰本線『豊岡駅』よりバスで約30分 /『出石』下車 徒歩5分
- 北近畿豊岡自動車道『日高神鍋高原IC』より13.3km(約25分)