歴史
広山城は、この大の山頂上に築かれた佐用郡最古の典型的な山岳城である。
天承元年(1131)、平忠盛が播磨、備前の国司時代、藤原頼国が佐用郡の領主で、その臣松永忠国が築いたもの。忠国は平治元年(1159)、平治の乱に敗死。嘉応2年(1170)、平景清が播磨、美作、但馬の国司時代、その臣・佐屋景氏が西播磨を支配し、飯山城も築き居城とした。景氏は元暦元年(1184)、一の谷戦に討死、その臣・𠮷屋宗遠が守護の時、源範頼の平氏追討軍に依り落城。建久元年(1190)、佐用郡地頭
耺となった赤松則景が支配し、以後代々赤松氏が継承。
延元元年(1336)、一族の上月景盛が
上月城を築城のとき支城とし、嘉吉元年(1441)嘉吉の乱に、赤松追討軍の山名持豊に討たれた。応仁元年(1467)、応仁の大乱が起こり、この時赤松氏が回復。当時の城主・上月恒織は天正5年(1577)の秋、中国の雄者・毛利氏の同盟上月城主・赤松政範と共に羽柴秀吉の中国攻略戦に敗れ、以後廃城となる。<現地案内板より>
コメント
ログハウスを通過し暫くは軽トラ1台が通れるよう舗装された道を進みますが、途中からは未舗装の只管長い
九十九折れを登ります。これが予想以上にハードで途中何度も引き返そうかと思いましたが、またの機会に一から登る事を考えると引返す訳にもいかず、只々意地で登りきりました。麓から展望台まで約27分でしたが、ジグザグに長距離歩かざるを得ないので急傾斜な山城より疲れました。
最高所の
主郭は展望台があるのみで荒廃感漂い、遺構は確認できず…苦労して登ってきた事を考えるとコスパは非常に悪くオススメ度は2としましたが、登山道に散見される石垣?、
狼煙場と隅の石積が確認できただけでも救われます。また
尾根東端のベンチのある休憩所?付近に石垣が確認できるようで、機会があれば再度チャレンジしたいと思います。
駐車場は、麓に笹ヶ丘公園があるので沢山あり、余程のイベントがない限り心配なさそうです。
オススメ ☆☆
規 模 ☆☆☆☆
難易度 ☆☆☆☆☆
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県佐用郡佐用町久崎 (笹ヶ丘公園)
- 通称
- 広山城
- 形式
- 山城 (標高 350m/比高 m)
- 遺構
- 曲輪、石垣、馬落とし、狼煙場跡
- 築城者
- 孝橋秀時
- 主要城主
- 上月氏
- 築城年
- 天文年間 (1532-1555)
- 廃城年
- 天正5年(1577)?
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- 無料駐車場あり(数十台~)
- アクセス
- 智頭急行鉄道『久崎駅』より1.4m(徒歩約18分)
- 中国自動車道『佐用IC』より10.8km(車で約18分で登山口)