淡河の里を眼下(比高差約20m)に一望できる河岸段丘上端に築かれたこの城は、淡河氏代々の居城でしたが、天正6~8年(1578-1580)羽柴秀吉による三木城(別所氏)攻めの後は、有馬氏一万五千石の居城として慶長6年(1601)まで、淡河と共に栄えてきました。
城の遺構は現在、本丸と天守台、堀を残すだけとなっています。幅15m、深さ3~5mの堀に囲まれ、本丸の南辺に東西50m、南北8~16mの天守台を配する構えは、当時の面影を残しています。また、本丸の南東には竹慶寺跡があり、境内には城主淡河氏代々の墓碑があります。<現地案内板より>