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全国気ままに城めぐり♪

日本お城めぐりの旅

枝吉城EDAYOSHI CASTLE


歴史

 枝吉城は、戦国争乱の時代が幕をあける15世紀中頃(永享元年(1429))、明石氏(尚行)によって築城された。明石氏は、古代明石郡の大領を先祖とするという言い伝えがある。
 城を台地上に構え、その東縁には城主の居館を中心に城下町が形成され、一時は地域の中心として賑わった。その後、枝吉城は二度の合戦を経て、城下町もその度に戦火にあった。16世紀末(天正14年(1586))には、関白となった豊臣秀吉による大規模な国替えで、枝吉城主の明石則実が豊岡へ移り、代わってこの地にはキリシタン大名の高山右近重友が入る。枝吉城に入った右近は、直ちに新たな城の築城に着手し、完成をみて新城・船上城に移り、1世紀半に渡る枝吉城の歴史は終わった。
 枝吉城が築かれていた台地は城山と呼ばれ、6万3千余平方メートルの範囲には田畑や雑木林、溜池があった。この台地上には、稲作開始期にあたる弥生前期の村落跡もあったが、枝吉城築城の際に壊されてしまった。弥生前期の村落跡「播磨吉田遺跡」と「枝吉城址」の顕彰碑が城山台地上に建立され、この地の歴史の1ページを記念している。<現地案内板より 一部加筆> 

コメント

オススメ ☆
難易度  ☆☆
アクセス ☆☆☆☆


データ

所在地
兵庫県神戸市西区枝吉
通称
新城、明石城、吉田砦
形式
平山城
遺構
曲輪、土塁跡
築城者
明石尚行
主要城主
明石氏、高山右近
築城年
永享元年 (1429)
廃城年
天正14年(1586)
開城時間
常時
入城料
無料
休城日
なし
駐車場
なし(吉田郷土館無料駐車場を借用) 
アクセス
JR山陽本線『明石駅』より バス 
第二神明道路『玉津IC』より 国道175号線

日本100名城
現存12天守
番外編

個人データ
初登城日:2010.6.27
最終登城日:2010.6.27