歴史
天文11年(1542)山名祐豊は生野銀山経営の拠点として
生野城を築城しました。三層の天守閣、隅櫓、外堀を備えた城で、侍屋敷、町屋、寺社も整い、繁盛したと記録に遺されています。
その後、銀山の経営は太田垣、織田、豊臣と変わり、関ヶ原の戦いを経て徳川氏に帰属し、この城の本陣を代官所としました。寛永6年(1629)には天守閣及び隅櫓を取り崩しましたが、270年にわたって銀山経営の中心でした。
明治維新により銀山は政府直轄となり、明治2年(1869)生野県設置とともに、代官所を県庁舎としました。
明治4年(1871)生野県が豊岡県に統合されると同時に建物は除去され、城壁と外堀のみが残りましたが、大正末期には全部が取り壊されました。<現地案内板より>
コメント
オススメ ☆
規模 ☆☆
難易度 ☆
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県朝来市生野町口銀谷564
- 通称
- 生野陣屋
- 形式
- 陣屋
- 遺構
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- 築城者
- ─
- 主要城主
- ─
- 築城年
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- 廃城年
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- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- 生野小学校前観光駐車場(無料/約5台)
- アクセス
- JR播但線『生野駅』(東口)よりkm(徒歩 分)
- 播但連絡道『生野北IC』よりkm(車で 分)