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全国気ままに城めぐり♪

日本お城めぐりの旅

要害山城YOGAIYAMA CASTLE 


歴史

 要害城は、永正17年(1520)に武田信虎が築いた山城です。居館と政庁を兼ねた武田氏館に対し、緊急時に立て籠もる詰めの城としての役割を担っていました。信虎・信玄・勝頼と3代にわたって使用され、武田氏滅亡後も修築・再整備されました。
 城は山腹から主郭に至る道路に沿って、枡形虎口や郭が複雑かつ連続的に付設されているほか、竪掘や掘切を要所に設けて防備を固めています。山頂の主郭には、規模の大きな建物が存在したものと推定されています。
 南東尾根上には支城の熊城があり、深い堀切で区切られた連続的な小郭と畝状竪掘が特徴的です。また、麓には根古屋の地名が残り、城番を勤める武士の屋敷が想定されています。
 要害城は、熊城とともに遺構の保存状態が極めて良く、記録が豊富に残されているなど、戦国期の山城の様相を今日に伝える貴重な山城です。<現地案内板より>

 『人は城、人は石垣、人は堀』
この言葉通り武田信玄は生涯、国内に本格的なお城を築かなかず、先祖伝来の躑躅ヶ崎館を居宅とした。
…とされているが、実際には、いざという時に籠城し、戦う詰めの城として築かれたのが要害山城である。
信玄も籠城中にここで生まれたとされ、本丸には生誕の地の石碑も建っている。


コメント

オススメ ☆☆☆
難易度  ☆☆☆☆
アクセス ☆☆☆☆


データ

所在地
山梨県甲府市上積翠寺
通称
要害城、積翠山城
形式
山城 (標高770m)
遺構
石垣、土塁、空堀
築城者
武田信虎
主な城主
武田氏
築城年
永正17年(1520)
廃城年
慶長5年(1600)
開城時間
常時
入城料
無料
休城日
なし
駐車場
アクセス
JR中央本線・見延線『甲府駅』北口より バス約15分 (300円) 
バス『積翠寺』下車 徒歩10分で登山口、本丸まで20〜30分

日本100名城
現存12天守
番外編

個人データ
初登城日:2011.11.26
最終登城日:2011.11.26