鳥羽山城は天竜川に臨み、支流二俣川を隔て二俣古城に対峙、遠州平野や、北方の山並みが望める標高108mの俗に本城山と呼ぶ山頂に築かれており、二俣城とは別郭一城の関係にある城館的色彩の濃い山城である。
江戸前期の兵学者・山鹿素行の著した「武家事記」の「三方ヶ原合戦図附総図」には二俣新城と記入されている。
天正3年(1575)徳川家康が武田軍の守る二俣城を攻略するとき鳥羽山に本陣を敷き、天竜川の対岸和田島、二俣川の向こう毘沙門堂に砦を置いて二俣城を包囲したことは世に知られている。
主郭の四囲の山腹、山麓には各種の遺構がある。土塁、石垣、門、井戸、建築跡、庭石のほか昭和50年の発掘調査により、侍屋敷、暗渠跡などが発見されている。
戦国時代の城館で庭園や泉水を伴うものは全国でも稀で、特に家老屋敷や蔵屋敷に遺存する岩盤利用の枯山水の鳥羽山城庭園は文化史上貴重な遺跡である。<現地案内板より>