歴史
笹尾山は北国街道を押さえる位置にあり、高所で盆地を一望でき、防禦に適している。
石田三成隊約6,000は西軍諸隊と共に前日の夜半に
大垣城を出て、合戦当日の午前1時頃ここへ布陣した。
午前8時頃に戦いの火蓋が切られると、黒田長政や細川忠興ら兵力で勝る東軍諸隊が猛攻を仕掛けるが、島左近(清興)を中心に石田隊は獅子奮迅の働きを見せ、東軍を幾度も押し返す。しかし、左近が黒田隊の射撃で負傷し戦線から脱落すると、石田隊も徐々に押し込まれる。
西軍は善戦していたが戦っていたのは一部の部隊だけだった。島津義弘は三成の度重なる参戦要請を拒否。午前11時頃、三成は此処から総攻撃の烽火(のろし)を上げたが、松尾山の小早川秀秋、南宮山の毛利秀元らは動こうとしない。
その最中、正午頃に秀秋が東軍へ寝返り均衡は崩れる。大谷吉継隊が壊滅すると、西軍諸隊は次々に崩れ敗走。勢いに乗って押し寄せる東軍諸隊を相手に、石田隊は決死の覚悟で踏み止まり奮闘したが、午後2時頃には遂に壊滅。三成は再起を期して、背後の伊吹山方面へ逃れていった。<現地案内板より>
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オススメ ☆☆☆
規模 ☆☆☆
難易度 ☆☆☆
アクセス ☆☆☆☆
データ
- 所在地
- 岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原4008
- 通称
- ─
- 形式
- 丘城
- 遺構
- ─
- 築城者
- 石田三成
- 主要城主
- 石田三成
- 築城年
- ─
- 廃城年
- ─
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- 無料(数十台)
- アクセス
- JR東海道本線『関ヶ原駅』より1.6km(徒歩20分)
- 名神高速道『関ヶ原IC』より2.5km(車で約6分)