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全国気ままに城めぐり♪

日本お城めぐりの旅

石橋城ISHIBASHI CASTLE 


歴史

 石橋城は、奥平氏2代貞久の2男の弾正久勝(だんじょうひさかつ)が最初の城主で、近辺の地名『石橋』を称し、3代貞昌の家臣になった。久勝の子・弾正繁昌は、天文6年(1537)9月に謀反が露見し、4代貞勝の命を受けた土佐定雄に屋敷を攻められて敗北、郎党40人余が討死した。
 死骸は一穴に埋められ、奥平弾正宮と呼ばれている。現在でも、西方土塁の腰に石祠を確認することができる。
 後年になり、当山の第2世徳岩明和尚(とくがんみょうおしょう)が繁昌と一族の死を哀れみ亀山城主・貞勝に願い出、 弾正屋敷をもらい受けて寺地とし『石橋山慈昌院』とした。<現地案内板より>

コメント

オススメ ☆
規 模  ☆
難易度  ☆
アクセス ☆☆☆


データ

所在地
愛知県新城市作手清岳字寺屋敷(慈昌院)
通称
石橋館、弾正屋敷
形式
居館
遺構
曲輪、土塁、空堀
築城者
石橋弾正久勝
主要城主
石橋氏
築城年
応永年間
廃城年
開城時間
常時?
入城料
無料
休城日
なし
駐車場
参拝者用無料駐車場を利用
アクセス
JR飯田線『新城駅』より16.8km(車で約25分)
新東名高速道路『新城IC』より21.3km(車で約29分)

日本100名城
現存12天守
番外編

個人データ
初登城日:2019.6.5
最終登城日:2019.6.5