歴史
この山は、天正9年に羽柴秀筑前守秀吉が
鳥取城を攻めた久松戦の丸山城跡である。
此処の城首を奈佐日本助と呼び元但馬奈佐谷の領主であったが、但馬地方の秀吉戦に敗れてより、鳥取城主・吉川式部少輔経家に仕えこの城を守りつつ毛利群から雁金砦を経て、鳥取本城に運び城兵3,000余人の命を保っていた。
一方秀吉軍は本陣を久松山の東太閤ヶ平に構え難攻不落の鳥取城に日夜猛攻を続けた。
鳥取本城は奈佐日本助の巧妙な兵糧輸送により頑強に抵抗を続けたが才知抜群の秀吉は万策の後に遂に食糧攻めを決意し宮部善祥坊をしてこの唯一の補給路雁金砦を奪取せしめた。この為、連絡を断たれた本城は大混乱のうち遂に落城したのである。雁金の首将・塩谷周防もこの山に退き鳥取本城明渡しの報に日本助と共にその責を負い、天正9年10月25日この地に無念の涙をのみ自刃した。
武士道に徹し、身命をかけて戦った両雄の忠勇義烈は真に崇高の極みである。慈に慰霊碑を建立し永くその誉を讃え英魂に捧げる。<現地案内板より>
コメント
団地など山一周回ってみたものの登山口は発見できず…
オススメ
規 模 ☆☆☆
難易度
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 鳥取県鳥取市丸山
- 通称
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- 形式
- 山城 (標高 85m、比高 80m)
- 遺構
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- 築城者
- 吉川径家
- 主な城主
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- 築城年
- ─
- 廃城年
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- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- なし (向かいの公園の駐車場を利用:無料)
- アクセス
- JR山陰本線『鳥取駅』より