歴史
志知城の創築は鎌倉時代の初め、菅和泉守道忠によ依ると云われている。
「太平記」に、志知の武士が南北朝初期動乱のとき、宮方(南朝)に従い淡路西浦から京へ出陣したことが記されているが、その武士集団の拠点が志知城であると云われる。南北朝時代以降は足利将軍に与力した菅氏は、淡路守護細川氏にも従ったという。
室町末期は三好氏に味方し、その後、野口孫五郎長宗のとき、羽柴秀吉による淡路攻略(1581~82)によって降伏開城した。そのあと黒田孝高が預かり、天正13(1585)年より加藤左馬助茂勝(後に嘉明)が1万5000石の城主として入城、留守居役が家老・堀部市右衛門であったと云われている。
志知城は、瀬戸内海に出る淡路水軍の重要基地であった。九州遠征(1586~87)、小田原攻め(1590)、朝鮮出兵(1592に始まる)には水軍を編成して出陣した。文禄4年に嘉明が伊予(愛媛県)へ転封のあと、当領は秀吉の直轄領となり、代官石川紀伊守光遠・三宅丹波守が入城し、川口の
叶堂に新城を築き志知城は廃された。
本丸台跡は、一辺約72mの方形状で、高さは約55m。曲輪の縄張り構成は不明である。本丸台の北隅が天守台とも櫓台跡とも云われ、南部に一段低くなった一郭は「二の丸」と呼ばれている。堀は、南北の長さ約130m、幅約15m。本丸を広く取り囲むように外堀が残っていたが、今はその旧態が見られなくなっている。石垣は確認されていない。
この城郭は、近世初期の形式をもつ水城的な平城で、加藤氏入城後改造されたものであろうとされている。<現地案内板より>
コメント
訪城時、地元の方が作業をされており『元々、竹林だったが5年かけて』整備されたとの事。
他にもTV番組で堀の水を抜いた際に見つかった往時の石垣?や黒田官兵衛、加藤嘉明の事、また淡路島の歴史やお勧め華南高地など色々な話を伺いました。
整備の件に関しては訪れる側からすると非常に有難く、感謝の意を伝え、気持ちよく現地を後にしました。
オススメ ☆☆
規 模 ☆☆
難易度 ☆☆
アクセス ☆☆☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県南あわじ市志知
- 通称
- ─
- 形式
- 平城 (標高 m/比高 m)
- 遺構
- 土塁、曲輪、堀
- 築城者
- 菅 道忠
- 主要城主
- 菅氏、加藤嘉明
- 築城年
- 鎌倉時代初期
- 廃城年
- 文禄4年(1594)
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- なし
- アクセス
- 神戸淡路鳴門道『西淡三原IC』より1.6km(車で約4分)