歴史
堀井城は、四方に堀・土塁を巡らせた典型的な中世の方形城館跡です。城の範囲は東西160m、南北200mと考えられています。公園として整備された主郭部の規模は東西80m、南北100mです。城の形は少し北西に歪んだ方形で、主郭との連絡は南北の中央に架けられたに架けられた土橋1ヶ所だけになっています。主郭の周囲を巡る堀、土塁は明治年間に改変され、堀は8~10m、深さ1.5m、土塁は幅6m~14m、高さ1m~4mありましたが、築城時においての堀幅は狭く、土塁はもう少し高かったと考えられています。
築城の経緯については諸説があり、確かなことは分かっていませんが、室町時代に当地域を支配した赤松氏の家臣が居住した城と考えられています。
当地は、中世の京街道(京都ー姫路)と加古川が交差し、軍事上重量な位置にあたりました。堀井城の南南東600mにある
河合城は、1441(嘉吉元)年に赤松満祐が将軍足利義教を殺害した「嘉吉の乱」の際に将軍の首を持ち帰った城として知られています。堀井城の東600mにも小堀城があり、堀井城は小堀城と共に、赤松氏の東播磨支配の拠点的性格を持つ河合城の支城と考えられています(『小野市史第1卷』)。
なお、明治時代には現在の加古川線(発足当時:播州鉄道)の発起人で、貴族院議員を務めた斯波興七郎氏が居住したことから地元では「斯波屋敷」とも呼ばれています。<現地案内板より>
コメント
仕事の関係で近くまで来たので、終了後に立ち寄りました。
高さ2m超で数十mにおよぶ大規模土塁に往時の姿を想像できます。
オススメ ☆☆☆
難易度 ☆☆
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県小野市河合中町小字小堀
- 通称
- 堀殿城、新部上月城
- 形式
- 平城
- 遺構
- 土塁
- 築城者
- 不詳
- 主要城主
- 光枝氏
- 築城年
- 不詳
- 廃城年
- 不詳
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- ─
- 休城日
- ─
- 100名城スタンプ
- ─
- 駐車場
- なし
- アクセス
- JR加古川線『河合西駅』より1.4km(徒歩18分)