歴史
飫肥城は東西約750m、南北約500mの城域に大小13の曲輪と犬馬場等からなる広大な城である。各曲輪はシラス台地を空堀で区切った壮大な規模で、南九州の中世城郭において特徴的な形態である。
戦国時代には代々・島津氏一族が城主であったが、天正15年(1587)に飫肥藩初代伊東祐兵が豊臣秀吉から飫肥を領地として与えられて以後、明治時代まで伊東氏の居城となった。
城内の各曲輪の本丸、松尾、中ノ城、今城、西ノ丸、北ノ丸などの名称で呼ばれていた。このうち、元禄6年(1693)に現在の本丸(飫肥小学校グラウンド)が完成するまでは旧本丸が藩主の御殿であった。
旧本丸は寛文2年(1662)、延宝8年(1680)、貞享元年(1684)の三度の大きな地震で地割れが発生し、移転することになった。<現地案内板より>
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オススメ ☆☆☆☆
難易度 ☆☆☆
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 宮崎県日南市飫肥10丁目
- 通称
- 舞鶴城
- 形式
- 平山城(標高 51m、比高 50m)
- 遺構
- 復元大手櫓門、門、曲輪、石垣、空堀
- 築城者
- 土持氏
- 主な城主
- 土持氏、島津氏、伊東氏他
- 築城年
- 正平年間(-)
- 廃城年
- 明治4年(1871)
- 開城時間
- 常時 (飫肥城歴史資料館 9:30~16:30)
- 入城料
- 無料 (飫肥城歴史資料館 大人600円)
- 休城日
- なし (飫肥城歴史資料館 12月29~31日)
- 駐車場
- 無料駐車場あり
- アクセス
- JR日豊線『飫肥駅』より 徒歩約15分