南北朝中期以来、熊野別当にかわって熊野を統治した7人衆((七上綱(しちじょうこう))の一人・周防守行栄(ゆきひで)の屋敷跡。 行栄は源頼朝の叔母にあたる丹鶴姫の弟・新宮十郎行家の子孫と云われ、天正19年(1591)新たな勢力を得た堀内氏善に同心せず討たれたと云われる。 ※熊野七上綱…宮崎・蓑島・矢倉(鵜殿)・滝本・中曽(中脇)・芝・楠(新宮または新)の7家で構成される。 7人の合議制によって熊野地域を統治した。