戦国時代から近世初頭にかけて、奥熊野地方を支配した堀内氏の平城跡。 周りは五町ばかりあり、四方を水掘で囲った屋敷であったようだが、現在は裏手(西方)と北方の一部にその名残の小川が残るのみである。 堀内氏善は天正19年(1591)、豊臣秀吉から熊野総地の支配権を許され、約6万石を領したが、関ヶ原の合戦で西軍に参加したため敗北した。 堀内氏の勢力と、新宮城下町形成期の支配形態を考える上でも貴重な史跡である。<現地案内板より>