元和5年(1619)8月、高島郡を中心に2万石の領主として伊勢国上野(三重県河芸町)から江州大溝(高島町)に入封した分部光信(1591-1643)は、さきに織田信澄(信長の甥・明智光秀の女婿)が築いた大溝城(水城)の西に、陣屋・武家屋敷を構築し、背戸川を境として石垣・土塁を巡らせてこの地に総門を設けた。宝暦5年(1755)秋、大修理して今に至る。
棟瓦には分部氏の定紋(丸の内に三引)が残り、両袖に部屋のあるこの長屋門は大溝城関係建造物でただ1つ現存する貴重な遺構である。<現地案内板より>