歴史
この地は元亀、天正の頃足利氏が滅亡するや細川氏が丹後に入り、郡内の諸将も亦一色氏と運命を共にした、町内各所の城砦は当時の歴史を物語るものである。
天正年、細川の臣・松井佐渡守康之が久美浜の松倉城を根拠として勇名を轟かした(現・八代市住)元禄十年代官の設置、当時陣屋は大津・京都にあって丹後代官を兼ねていた。享保年間に湊宮船見番所を陣屋と改め、享保20年の海上弥兵衛の時に陣屋をこの地に移した。以来、明治維新までこの地を代官所として権勢を誇った。その所管は、丹後、但馬石高7万石、明治元年置県の制が設けられて久美浜縣となり県庁の所在地として大いに繁栄した。代官の頃はその坪数1,600坪、陣屋川、陣屋清水、陣屋橋、殿町と当時の名残を残している。
久美浜縣庁はこの地に松倉山を崩し整地し構内、実に7,000坪石高も丹後・但馬・丹波・播磨・美作の5ヶ国23万石以上となり明治4年まで大いに発展した。建築も宏壮で当時の正面玄関棟は現在神谷神社境内に現存し正門は豊岡市本町に現存し在りし日の面目を今に残している。<現地案内板より>
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オススメ ☆
難易度 ☆
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 京都府京丹後市久美浜町殿町(久美浜小学校)
- 通称
- ─
- 形式
- 代官所(陣屋)
- 遺構
- 郭、堀切
- 築城者
- 江戸幕府
- 主要城主
- 不明
- 築城年
- 天保20年(1735)
- 廃城年
- 不明
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- なし
- アクセス
- 京都丹後鉄道宮豊線『久美浜駅』より750m(徒歩10分)
- 宮津与謝道路『与謝天橋立iC』より34km(車で47分)