歴史
ここは、谷出羽守衛友が天正10年(1582)秀吉より1万6千石をもって、美濃国から封ぜられた谷藩政中心の地である。
藩主谷出羽守衛友の父は、大膳亮衛好といい、織田信長に仕え、天正4年(1576)の大阪本願寺攻めに軍功をあげ、家紋「揚羽蝶」を賜るが、天正7年(1579)播州三木城別所長治を攻め、討死し、三木の如意山金剛寺に祀る(大繕郭に墓地)。
山家初代藩主谷出羽守衛友は、父衛好と共に三木城攻めに加わり、父討死の時、その屍を奪い返し仇を討ち取る。
この時の勇戦の感状として、秀吉から家紋「五三の桐」を受け、本領(山家)加増され、山家に封ぜられた。
城址内の灯籠には、こうした史実を止める「揚羽蝶」と「五三の桐」の門が残されている。
こうした歴史を秘めるこの山家城址は、約21,300㎡の面積を有し、城址内には藩主の祖霊を祀る、谷霊神社や後背の山腹には式内社の一つである伊也神社があり、歴史的な文化を今も止めている。
この城址は、春は梅と桜、夏は色濃い緑に上林川の瀬音、秋はもみじの紅葉と、広く市民が憩う風光明媚な地として親しまれてる。<現地案内板より>
コメント
オススメ ☆☆
難易度 ☆☆
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 京都府綾部市広瀬町
- 通称
- ─
- 形式
- 陣屋 (平山城)
- 遺構
- 模擬門、曲輪、堀切
- 築城者
- 谷衛友
- 主な城主
- ─
- 築城年
- 天正10年(1582)
- 廃城年
- 明治6年 (1873)
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- 有り (山家城址公園無料駐車場)
- アクセス
- JR山陰本線『山家駅』より 徒歩約20分