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全国気ままに城めぐり♪

日本お城めぐりの旅

津居山城TSUIYAMA CASTLE 


歴史

1、位置と城史
 津居山城は円山川河口、津居山集落北側、標高113mの丘陵に所在する。城は所謂「瀬戸の切戸」と海を堀とした天然の要害となっている。城域は広く、八幡神社を中心とする「館城」と、その北側の標高113mの主郭を中心とする「詰め城」の二つを考えることができる。
 城主は不明だが、『海東諸国記』に「源国吉、丁亥年(応仁元年=1467)使いを(朝鮮に)遣わして来りて、舎利分身を賀せしむ。書に、但馬州津山関佐々木兵庫助源国吉と称す」とあるという(『校補但馬考』)。室町期の城主は佐々木国吉であろうか。

2、城の構造
 「館城」は、標高50mに位置する八幡神社の境内を主郭とする。主郭Ⅳは東西約21m、南北約57mを測り、曲輪北側に高さ0.8mの土塁、西と南側には帯曲輪を配しており、2方向に延びる尾根は其々4段の曲輪で防禦している。また主郭Ⅳ背後には段差約3.5mの切岸を造り、幅約10mの堀切で遮断している。
 「詰城」は主郭Ⅰ(100×20m)と曲輪Ⅱ(25×30m)の間を、幅4m・深さ2.5mの堀切で遮断し、各曲輪に帯曲輪を巡らせている。堀切の東側は竪堀状になって落ちているものの、純粋な竪堀以降ではなさそうである。更に主郭Ⅰの北側には、60×20mを測るやや不整形の曲輪Ⅲを中心に連郭式に小曲輪を造っており、明らかに海の方からの侵入に備えている。  

3、まとめ
 館城の場合は、尾根の2方向に小曲輪を構築した城を、主郭Ⅳを中心に堀切などで補強している。また詰城は、やはり連郭式の城郭を曲輪Ⅰ・Ⅱ・Ⅲや堀切・帯曲輪で補強したものと思われてる。城は南北朝期に築城起源をもつ城を、室町~戦国期に改修したものであろう。
 城は円山川河口に位置し、津山関(津居山港)を守備する城郭であった事は言うまでもなかろう。戦国期但馬水軍を率いた奈佐日本助が拠点とした港である、と云う説もある。<豊岡市の城郭集成Ⅰより>


コメント

今回は序でに立ち寄っただけなので、八幡神社が鎮座する館城のみです。社殿裏の土塁を確認した程度ですが、久々の中世山城で楽しめました。

オススメ 
規 模  
難易度  ☆☆☆
アクセス ☆☆☆☆


データ

所在地
兵庫県豊岡市津居山字八幡・カサノシロ
通称
形式
山城 (標高 113m)
遺構
郭、土塁、堀切
築城者
不明
主要城主
佐々木国吉?(室町期)
築城年
南北朝期?
改修年
室町期~戦国期?
廃城年
不明
開城時間
常時?
入城料
無料
休城日
なし? 
駐車場
未確認
アクセス
JR山陰本線『豊岡駅』より 車で約15分 

日本100名城
現存12天守
番外編

個人データ
初登城日:2020.10.2
最終登城日:2020.10.2