歴史
1、位置と城史
ニ眉城は円山川右岸、飯谷集落北側の楽々浦湾奥、標高132.6mの丘陵に所在する。集落との比高は約130mある。城域は東西約87m、南北約100mを測る。
城主は、長澤氏(長澤掃部守義賢)と伝承されている。飯谷の香積寺の過去帳に「長澤掃部守・年不詳三月一日・義賢院殿長雲宗澤大居士」とあり、また「攝丹境・永沢県小山庄城主、長澤義賢公。戦国の世、但馬国下鶴井庄飯谷二眉城に移封され」の記録もある。城主館は飯谷に「政所」の地名で残されており、「蔵田」「城山谷」「戦殿」「馬場堂」「かもん屋敷」等の地名も残っていると云う。(『内川村誌』)
2、城の構造
二眉城は、主郭と副郭を幅広い帯曲輪を構築して防禦する縄張りに特徴がある。
主郭Ⅰは14×19m、副郭Ⅱは20×10mを測り、両者を帯曲輪(曲輪Ⅲ・Ⅳ・Ⅴ)が取り巻いている。更に、曲輪Ⅲの北側鞍部には幅5m・深さ4mを測る堀切・竪堀、曲輪Ⅳの南東尾根には小規模な堀切・竪堀を構築して防禦している。
3、まとめ
城は南北朝~室町期の城郭を、戦国期に堀切・竪堀で改修したものである。
城は比較的小規模で、地侍クラスの城郭である。また位置的には楽々浦湾奥に所在し、港(浦)を守護する「村の城」であろう。<豊岡市の城郭集成Ⅰより>
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データ
- 所在地
- 兵庫県豊岡市城崎町飯谷字二眉
- 通称
- ─
- 形式
- (標高 132.6m/比高 約130m)
- 遺構
- 曲輪、堀切、竪堀
- 築城者
- 不明
- 主要城主
- 長澤掃部守義賢?
- 築城年
- 南北朝~室町期?
- 改修年
- 戦国期?
- 廃城年
- 不明
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- 未確認
- アクセス
- JR山陰本線『城崎温泉駅』より
- 北近畿豊岡豊岡自動車道『日高神鍋高原IC』より