歴史
1、位置と城史
京川城は出石川右岸、奥小谷集落北西、標高約216m地点に所在する。城域は東西約49.3m・南北約46.9mを測り、ほぼ円形を呈している。集落との比高は約126mを測る。
城史に関する伝承や史料は不明である。
2、城の構造
城は単郭で、折れをもつ土塁に囲繞されており、その規模は東西約49.3m・南北約46.9mを測る。形状は円形状を呈するが、土塁は幅約2~2.5m、高さ約0.7~1mを測り、各所で折れをもつ。曲輪の虎口は南東側に設けられており、その幅は約2.9mを測る。
尚、土塁の内側には幅約4mを測る溝状の遺構が巡り、溝を掘った土で土塁を構築した普請の跡が窺える。
主郭の西側に横堀・竪堀を構築しているが、横堀の規模は幅約4m・深さ約1.5mを測り、竪堀は幅3~6m・長さ9~13.2mを測る。
3、まとめ
城は折れや虎口をもつ土塁囲みの城郭で、但馬の一般的な連郭式の縄張りとは大きく異なる。また、同じ奥小谷の北東側に構築された戦国期の沢田城の縄張りとも異なる。各地で報告されている、織豊系の陣城とその縄張りが酷似している。
したがって、京川城は但馬勢力の城郭遺構とは考えられず、外部(織豊)勢力の普請とみて間違いなかろう。
城は夜久野町(福知山市)から出合に入るルート沿いに位置し、織豊勢力による但馬攻めに際して、夜久野方面から進駐してきた一部隊の構築した陣城と思われる。時期的には、織豊勢力による天正8年(1580)の出石・
有子山城攻めが考えられよう。<豊岡市の城郭集成Ⅱより>
コメント
こんなところに…とはよくあるんですが、今回はまさにノーマークでした。豊岡・出石方面からシルク温泉手前、正確には出合~小谷の信号の間に左手に岩本神社とともに京川城の看板がありました。車は路中で、岩本神社脇から整備された道が頂上まで続いていました。途中、トリッキーな看板(?)に騙されましたが、”整備された道”を選ぶと難なく30分前後で頂に辿り着きます。
帰宅後、調べた結果、(それでも情報はほぼ皆無)整備されたのはごく最近(?)のようで、夏なのにブッシュで断念とはならなかったのが幸運でした。やはり、何度も通った道で看板に気付かなかったというのも最近になって観光地化された証でしょうか。近くに沢田城、出合城もあるようだし、田舎での楽しみとしてまた訪れようと思います。
オススメ ☆☆
規 模 ☆☆
難易度 ☆☆☆
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県豊岡市但東町奥小谷字谷
- 通称
- ─
- 形式
- 山城 (標高 216m、比高 120m)
- 遺構
- 土塁
- 築城者
- 京川氏
- 主要城主
- 京川氏
- 築城年
- 室町時代?
- 廃城年
- ?
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- なし (神社近くの幅の広い道に路中)
- アクセス
- JR山陰本線『豊岡駅』より 車で約40分