歴史
岩井城は奈佐川右岸、岩井谷の最奥、標高約245mの山頂に所在した。奥岩井集落から直線距離で約2kmも離れている。集落との比高は約230mもある。城域は東西約130m、南北約100mを測る。
城主や城史に関する伝承や史料は不明である。
岩井城は、平成3年(1991)但馬空港建設に伴い、兵庫県教育委員会によって全面発掘調査が実施され、現在その遺構は消滅している。
中略
曲輪6の土塁間を入る虎口と堀切・竪堀がセットになった遺構は戦国期の普請と考えられ、岩井城の中で一番新しい箇所である。報告書はこの遺構を、天正3年(1575)の野田合戦(垣屋豊続と田結庄是義が抗争)に備えて垣屋氏(豊続)が改修した可能性を指摘している。
城は小規模な曲輪や自然地形を残す曲輪等の存在から、その築城起源は南北朝~室町期に遡り、戦国末期になって土塁をもつ虎口や堀切・竪堀が構築されたものであろう。報告書に記されるように野田合戦が奈佐谷・大浜谷・岩井谷を含む円山川下流域を巻き込んで展開したことを考慮に入れると、岩井城はちょうど奈佐谷と岩井谷を監視する「見張りの城」としての役割を担っていたものと推察される。<豊岡市の城郭集成Ⅰより>
コメント
まさかこんな所に城跡が…ネットで発見しなければ絶対に気付きませんでした。(実際、現地にも看板等ありません。)
が、言われてみると城の形してるし…って感じですが、詳細も不明の様だし、お城だったかの確証も得てません。
現況は公園で、ベンチもあり、但馬空港の離発着も眺められます。場所は、但馬空港の日高寄りに位置してます。
オススメ ☆☆
規 模
難易度 ☆☆
アクセス ☆☆☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県豊岡市岩井小字湯舟
- 通称
- ─
- 形式
- 山城 (標高 245m/比高 230m)
- 遺構
- 曲輪、土塁、堀切
- 築城者
- 不明
- 主要城主
- 不明
- 築城年
- 南北朝~室町期?
- 廃城年
- 不明
- 開城時間
- 8:30~18:00(冬季等、閉鎖の場合あり)
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- あり
- アクセス
- JR山陰本線『江原駅』/『豊岡駅』より バス