歴史
1、位置と城史
石谷城は奈佐川左岸、内町集落の西側奥、標高約269mの山頂に所在する。集落との比高は約240mある。城域は東西約100m、南北約150mを測る。
伝承では、城主は石谷備前守である。出石・福成寺の伝記によれば、矢次山の中腹、祈山にあった福成寺は正平年間(1346~70)、鳥羽村(現豊岡市福成寺)の郷士石谷備前守と争論し、山名時義を頼って出石弘原庄下村花山に移転したという(『但馬の城』)。
2、城の構造
城は、主郭を帯曲輪に巡らせ、尾根筋を堀切・竪掘で防御する縄張りである。
主郭1は東西約20m、南北約31mを測るが、削平が不十分で自然地形を残す。曲輪2は20×14mを測り、主郭を取り巻く帯曲輪を形成している。
主郭北側には、3段の曲輪(曲輪3=13×4m、曲輪4=15.5×4m)と二重の堀切・竪堀を設け尾根筋の防禦を固めている。堀切Aは幅4m・深さ1.5m、竪堀アは幅3m・長さ15m、竪堀イは幅3m・長さ25mを測る。また、堀切Bは幅8m・深さ4m、竪堀ウは幅5m・長さ18m、竪堀エは幅5m・長さ21mを測る。
主郭の東尾根には、4段の小曲輪(曲輪5=13×8m)を設けている。
主郭西側尾根には、小曲輪(5×4m)と堀切・竪堀を構築している。堀切Cは幅4m・深さ2m、竪堀オは幅3m・長さ14m、竪堀カは幅3m・長さ13mを測る。
また、主郭南側尾根には5段程の小曲輪を配置している。
3、まとめ
城は、主郭は帯曲輪が回されているものの自然地形を残し、また段差の低い小曲輪が断続的に構築されている事から、南北朝~室町期の様相をしている。しかし、堀切・竪掘はしっかり普請されており、戦国期の補強・改修が窺われる。
城は高所に立地し、交通路を抑えるようなものではなく、「逃げ城」としての性格が強い。<豊岡市の城郭集成Ⅰより>
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規 模
難易度
アクセス ☆☆☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県豊岡市内町字中ノ谷、辻字計度(けど)
- 通称
- ─
- 形式
- (標高 269.2m/比高 約240m)
- 遺構
- 曲輪、堀切、竪堀
- 築城者
- 不明
- 主要城主
- 石谷備前守
- 築城年
- 南北朝~室町期?
- 改修年
- 戦国期?
- 廃城年
- 不明
- 開城時間
- 常時?
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし?
- 駐車場
- 未確認
- アクセス
- JR山陰本線『豊岡駅』より
- 北近畿豊岡自動車道『日高神鍋高原IC』より