1、位置と城史
 福田城は奈佐川右岸、福田集落西側の尾根突端、標高44.6mに所在する。集落との比高は約40mを測る。城域は東西約130m・南北約150mを測る。
 伝承では「垣屋氏の城」と云う。天正3年(1575)の野田合戦以降、垣屋氏(豊続)の勢力下にあったことを示していると思われる(『兵庫県の中世城館・荘園遺跡』)。

2、城の構造
 城は、土塁を巡らせた主郭から3方向に延びる尾根に曲輪を配し、斜面の要所に竪堀や堀切・竪堀を構築して守備する縄張りである。
 主郭1は東西約53m、南北約25mと広く、西から南にかけて土塁(幅3m・高さ1.5m)が巡り、南東側には土塁を利用した坂虎口を構築している。また、虎口の南斜面には竪堀ア(幅3m、長さ約17m)を配している。
 主郭1の南東尾根には、曲輪2(23×16m)と曲輪3(29×9m)を設けている。主郭1と曲輪2の段差は約9mを測る。また、主郭の北側には曲輪4(17×7m)を構築している。
 主郭の西下には約6mの段差をもって、北尾根の曲輪7(7×7m)と南尾根の曲輪5(7×15m)を連結する帯曲輪(幅約3m)を設け、その帯曲輪を切って竪堀キ(幅2.5〜3m、長さ20m)を構築している。
 曲輪5と曲輪6(13×20m)の間には浅い堀切・竪堀を設けている。堀切Aは浅く、幅約5m・深さ約1mを測る。竪堀ウは幅2.5m・長さ9m、竪堀エは幅2.5m・長さ14mを測る。また曲輪5には、竪堀イ(幅2.5m、長さ10m)と竪堀カ(幅2.5m、長さ13m)を構築している。また、竪堀オは幅2.5m・長さ12mを測る。
 更に曲輪7の北尾根には、西側に土塁をもつ曲輪8(7×20m)、櫓台状の曲輪9(8×18m)、曲輪10(12×15.5m)、曲輪11(17×10m)を配置している。

3、まとめ
 城は、畝状竪堀は構築されていないものの、大きな主郭に巡らされた土塁や竪堀等の存在から戦国期の改修が窺える。主郭南側の尾根筋の遮断性は弱いが、北側や東側は急斜面を利用して堅固な縄張りとなっている。
 また城は奈佐谷の入口に位置し、奈佐川を隔てた北側に位置する亀ヶ崎城と共に、奈佐谷の前線を防禦する役割を担っていたものと思われる。位置的には交通の要衝にあたり、天正3年以降垣屋豊続の支城網に組み込まれていたものと思われる。<豊岡市の城郭集成Tより>