歴史
城跡は野村区の小字木寺の水田地帯にある。土塁が突起しているだけで、内濠も水田になっているが平面形はそのまま残り、外濠も埋められて農地に利用されている。
掻上げの方形館で、土塁は北・東・南面にコの字型に残っている。西側の土塁は削平され農地になったが、西北隅には城の守神だった八幡社が残っている。城の大手は西側で、下野村から奥野村へ通じる道路を「大門道」と呼び、道に面して大手門があたものと考えられる。
土塁は東西・南北とも70mで、土塁に沿い幅3~4mの内濠をめぐらし、それより約50m距たところに、外濠の跡がある。土塁は基底部が約7m・高さ4mありその内側が本城跡である。中世初期にみられる典型的な掻上げの城である。
野村城は、黒井城の属城で、永正年間(1504~1520)に野村出雲守家長が築城し、野村信濃守家久、野村太郎兵衛有久とつづき天正7年(1579)の黒井城落城と命運を共にしたと考えられる。<丹波市HPより>
コメント
どこかのサイトで案内板を見たような気がしましたが、周辺を廻っても分かりませんでした。
オススメ ☆
規模 ☆☆
難易度 ☆
アクセス ☆☆☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県丹波市春日町野村字木寺
- 通称
- ─
- 形式
- 居館
- 遺構
- 無
- 築城者
- 野村家長?
- 主要城主
- 野村家長、野村家久、野村有久
- 築城年
- 永正年間(1504~1520)?
- 廃城年
- 天正7年(1579)?
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- 無
- アクセス
- JR福知山線『黒井駅』より3km(車で4分)
- 舞鶴若狭道/北近畿豊岡道『春日IC』より1km (車で2分)