歴史
始の城名は「鹿聚(ろくしゅう)城」と名付けられ、後「鹿集城」と書くようになったようである。
承久3年(1221)源範頼の2男・吉見資重(ともしげ)が氷上郡鹿集の庄に地頭職に補され入庄したとの記録があるが、築城の年代は不明である。承久の乱後、鎌倉幕府の支配力も機内や西国の国衛領・荘園にも大きく伸びていき、幕府の目代・配下がここに館を持ったものである。城の型は、一般な城と言うより「とりで」「やかた」「出城」と言った型であった。
戦国騒乱の時代になるにつれて居邸を武装し、城塞化したもののようである。鹿集城のあったこの場所は、当地上垣(うえがい)の集落に続く小高い丘に過ぎず、戦国時代に築かれた多くの城塞とは趣きを異にして、いわば平和の姿の城(とりで)であった。
天正7巳卯年(1579)明智光秀の軍勢により落城したと言われている。
この城跡及び周辺の民有地を利用して、昭和46年に市島町内の中学校を統一して新しく市島中学校が建てられた。
城跡碑はこの後ろにある。<現地案内板より>
コメント
八上城をやめ、時間が出来たので立ち寄ってみました。
石碑が学校敷地内にあるとの事で、いつもながら躊躇し、雰囲気だけでもと思ってましたが、誰もいなかったので、不審がられることもなく、さっと写真を撮って帰りました。
運よく校門脇の石碑の写真が撮れたのは、良かったのですが、このご時世、どこでも散見する「関係者以外立ち入り禁止」の看板は気分の良いものではないです…案内板を読めば分かるのですが、文末に石碑の位置も書いてあるんですね。
オススメ ☆
規模 ☆☆
難易度 ☆
アクセス ☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県丹波市市島町上垣(市島中学校)
- 通称
- ─
- 形式
- 平山城
- 遺構
- 無
- 築城者
- 吉見資重?
- 主要城主
- 吉見氏(鹿集氏)
- 築城年
- 承久3(1221)年?
- 廃城年
- 天正7(1579)年?
- 開城時間
- 常時?
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし?
- 駐車場
- 無
- アクセス
- JR福知山線『市島駅』より1.5km(徒歩19分)
- 舞鶴若狭道/北近畿豊岡道『春日IC』より7.2km (車で11分)