歴史
温泉城は岸田川支流の左岸、湯集落の南側、標高338mの白毫山上の高所に位置している。
温泉城は、延文元年(1356)北朝方の伊達真信に攻められている(『伊達文書』)。その後の温泉城は文献的には明らかではないが、城主は奈良氏であると云う。
温泉城は、主尾根に配置された主郭1(42m×25m)・曲輪2(20m×15m)・曲輪3(37m×10m)・曲輪4(57m×17m)を、帯曲輪7・10と大規模な竪堀・U字形竪堀・畝状竪堀・横堀・畝状竪堀で守備している。特に30本を超える竪堀を構築し、3つの尾根をU字形竪堀・畝状竪堀・横堀+畝状竪堀で防禦しようとしている点が特徴的である。
明らかに、南北朝~室町期の城郭を、戦国末期に但馬最先端の技術を駆使して大改修している事が窺える。温泉城は内陸部の城郭ではあるが、南側からのルートを抑える役割を担っていたものと思われる。<豊岡市の城郭集成Ⅰより>
コメント
温泉城で何故か”ゆのしろ”と読みます。下調べでかなり興味はありました。が、その興味本位での登城で酷い目に遭うとは想像もしませんでした…
アクセスはまずはログハウスカナダを目指します。ここを通り過ぎると道は二手に分かれますので左手の細道を進むと突き当りが城域です。
車1台通れるのがやっとで、Uターン出来る所も道中1ヶ所のみでガードレールはありません、踏み外すと洒落になりません。
というわけでただただ先進して、突き当りまで行き着いた訳ですが、手つかず草木が細道を覆い、道には崩れた石、折れた木々があちらこちらに…何度か引き返そうとしましたが、バックも危ないし、突き当りで帰りの為に車を何とか向きを変えて車を確認するとあちらこちらに草木で擦れた跡…更には石?木?を踏んでパンクしてました。
見知らぬ土地で、人里離れた山頂で、雨が降り始めそうな曇天…さすがにテンパりましたが、保険に入ってて、ガソリン、電波があって助かりました。キズはどうなるか分かりませんが、タイヤ1本で、軽く済んで安堵しました。
保健保安林って…整備してないなら、車通行出来ないようにしたらいいのに…とは思いますが、そんな無茶なことする人もいないのか(笑)助けを待ってる間に、草木、落石をどけて帰りの運転席側は無傷でしたv
詳細は定かではないが、延文元年(1356)に北朝方である伊達真信に攻め落とされ、その後は奈良氏が居城したようです。
オススメ ☆
難易度 ☆☆
アクセス ☆☆☆☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県美方郡新温泉町湯
- 通称
- 白毫山(びゃくごうさん)城
- 形式
- 山城 (標高 338m/比高 230m)
- 遺構
- 郭、竪掘
- 築城者
- 不明
- 主要城主
- 不明
- 築城年
- 南北朝~室町期?
- 改修年
- 戦国末期?
- 廃城年
- 不明
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- なし(ログハウス『カナダ』周辺または中腹)
- アクセス
- JR山陰本線『浜坂駅』より 自動車で約22分
- 播但連絡道『八鹿・氷ノ山IC』より 自動車で約65分