歴史
=国指定 明石藩舞子台場跡(舞子砲台跡)=
幕末に外国船の侵攻に備えて、文久3年(1863)に幕府の命を受けて、勝鱗太郎(海舟)の指導のもと、明石藩が築造した砲台場です。対岸の淡路島にある徳島藩松帆台場(国史跡)と協力して、明石海峡を通過する外国船を挟み撃ちにしたと考えられます。
発掘調査の結果、現在の海岸護岸の石垣が当時のものであり、台場の石垣全体が埋まっていることも判りました。
台場の形式は稜堡(りょうほ)式と呼ばれ、石垣の平面形がW字形となる西洋の要塞を参考にして設計されています。全て石で積まれた例は国内には他になく、大変貴重なものです。
大きさは東西幅約70mで、現在残っている石垣は下層部分にあたり、高さは約6mです。明治初めの写真資料から、もともとの高さは海岸から約10mであったと推測できます。
こうした発掘調査で明らかとなった遺跡の重要性から、平成19年2月に国史跡として推定されました。これまでは舞子砲台跡として親しまれてきましたが、今後は『明石藩舞子台場跡』が正式な名称となります。<現地案内板より>
コメント
オススメ ☆☆
難易度 ☆☆
アクセス ☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県神戸市垂水区東舞子町4
- 通称
- 舞子砲台
- 形式
- 台場
- 遺構
- 石垣
- 築城者
- 明石藩
- 主要城主
- 明石藩
- 築城年
- 文久3年 (1863)
- 廃城年
- ─
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- 有(舞子公園有料駐車場216台/1時間200円)
- アクセス
- JR山陽本線『舞子駅』より250m(徒歩4分)
- 山陽電鉄『舞子公園駅』より300m(徒歩4分)
- 第二神明『大蔵谷IC』より3.9km 車で約11分