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全国気ままに城めぐり♪

日本お城めぐりの旅

兵庫城HYOGO CASTLE


歴史

 天正8年(1580)池田信輝と輝政父子が花隈城を攻め落とした功によって兵庫の土地を与えられてから、兵庫は、それまでの室町幕府の権力を離れ、東大寺や興福寺と兵庫の関との関係も脱して、新たに織田信長の手に入り、これを機会に池田氏は花隈城の資材も加えて兵庫城を築いた。その拠点は現在の切戸町、中之島中央市場にかけて東西、南北とも大体140mの規模で、周囲には幅3.6mの堀があった。
 古来兵庫は、源平の合戦、湊川合戦以来たびたび大きな合戦があって、その都度酷い戦災を受けた。兵庫に古いものが少ないのもその為であろう。しかし信長・秀吉による全国統一がなってからはこの地方ではもう合戦がなく、兵庫の町は平和に栄えていった。
 兵庫城跡は江戸時代に入って元和3年(1617)尼崎藩領となって、藩の陣屋となり、明和6年(1769)幕府領となってからは大坂町奉行所に所属して、与力や同心の勤番所として明治になるまで続いた。
 新幕府は慶応4年(1868、同年9月8日明治改元)1月22日にこの城跡の一部に兵庫鎮台を設けたが、2月2日に兵庫裁判所と名が変わり、5月23日にまた「兵庫県」と改められた。つまりここが最初の兵庫県庁である。その後県庁は同年9月18日、今の神戸地方裁判所の場所に新築移転、さらに明治6年5月現在地に移転した。
 明治7年(1874)新川運河の開墾が行われ、城跡の中心地はほとんど川底になってしまった。<現地案内板より>


コメント

オススメ ☆
難易度  ☆☆
アクセス ☆


データ

所在地
兵庫県神戸市兵庫区中之島
通称
池田城、片桐陣屋、兵庫陣屋
形式
平城 (海城)
遺構
なし
築城者
池田恒興
主要城主
池田恒興、片桐且元
築城年
天正9年 (1581)
廃城年
明和6年 (1769)
開城時間
常時
入城料
無料
休城日
なし
駐車場
なし 
アクセス
神戸市営地下鉄『中央市場前駅』より 徒歩5分
阪神高速神戸線『柳原IC』より 県道22号線 約5分

日本100名城
現存12天守
番外編

個人データ
初登城日:2011.6.22
最終登城日:2011.6.22