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全国気ままに城めぐり♪

日本お城めぐりの旅

姫路城HIMEJI CASTLE


歴史

 日本城郭建築の最高傑作とも評される姫路城は、白漆喰の城壁の美しい景観から白鷺城とも呼ばれています。
 現在の姫路城は慶長6年(1601)から8年の歳月をかけて池田輝政が建てたものですが、一番最初に姫路城を建てたのは赤松則村の二男・貞範(さだのり)です。当時播磨国上郡で勢力を誇っていた父・則村は、鎌倉幕府を倒そうとする後醍醐天皇に加勢し、千二百騎の兵を現在姫路城のある姫山に集結させ、京都に向かい大きく貢献しました。そしてその13年後の1346年に父の意向を受け二男の貞範が姫山に山城を築きました。これが姫路城の始まりとされています。しかし、その後、羽柴秀吉が三層の城を築くまではほとんど大きな動きはなく、姫路城は小さな山城でしかありませんでした。

 秀吉は信長の天下統一のため、中国討伐の拠点として天正8年(1580)から凡そ1年がかりで姫山の城を三層の本格的な天守閣に改築をします。しかし、それも19年後の関ヶ原の戦いにより徳川政権が始めると、家康の二女督姫を妻とする池田輝政が城主に選ばれ、また改築をすることになります。

 池田輝政が姫路城の城主になったのは、徳川政権を脅かすかもしれない西側の諸大名を牽制する為でもありました。そのため、家康は池田輝政に過大とも言えるほどの禄が与えられ、督姫との子、二男・忠継に備前国28万石、三男・忠雄に淡路国6万石を与え、姫路の52万石と合わせて86万石、しかし実質は100万石を誇る西国大名として徳川幕府の西の要になることが求められたのです。この要求に応えるべく、池田輝政は、延べ2400万人もの人員を動員し8年がかりで江戸城にも匹敵するほどの現在の天守を作り上げました。

姫路城は1993年12月、法隆寺と共に日本初のユネスコ(国際連合教育科学文化機関)世界文化遺産に登録され、国内唯一の単独で世界遺産に登録されたお城となりました。

 言わずとしれた日本が誇る国内唯一の世界遺産のお城。
幕末に新政府軍に包囲されたり、第二次世界大戦で爆弾を投下されるも不発に終わり(不発弾)奇跡的に戦禍を逃れたこともあった。築城から一度も大規模な戦がなかったことで『不戦の城』としても有名。
現在は2009年〜2015年までの予定で『平成の大修理』中。


コメント

オススメ ☆☆☆☆☆
難易度  ☆☆☆☆
アクセス ☆☆☆


データ

所在地
兵庫県姫路市本町
通称
白鷺(はくろ、しらさぎ)城
形式
平山城 (標高 45.6m)
遺構
現存天守、石垣、門、堀、櫓
築城者
赤松貞範
主要城主
黒田孝高、池田輝政
築城年
正平元年 (1346)
廃城年
明治4年 (1871)
開城時間
9:00〜16:00 (17:00) 
入城料
600円 (保存修理期間400円:平成27年3月27日より1,000円)
休城日
12月29日〜30日
100名城スタンプ
大手改札横
駐車場
あり (有料:『城の北駐車場』『大手門駐車場』など)
アクセス
JR山陽本線『姫路駅』より北へ バス5分/徒歩15分

日本100名城
現存12天守
番外編

個人データ
初登城日:小学校の低学年頃
2008.12.22
2009.11.30
2015.4.9
2012.3.11
最終登城日:2023.12.9