歴史
播磨国守守護・赤松氏範(氏則)によって築かれ、本丸・二の丸・三の丸から構成され、東播磨で最大の約66,000㎡の広さがあります。
山城跡には、城攻めの時に、斜面に竹の皮を敷いたが火をつけられた、坂の上から鯛をかかげ食料があると見せつけたなどの伝説があります。
本丸は、標高271mの山頂にあり、土塁囲いが残っています。本丸入口の米倉跡は三方を土塁で囲み、内側には石垣を積み上げています。
二の丸には、大手門を櫓門が造られました。大手門は、四脚門の構えをもつ山城跡最大の門です。櫓門は本丸への通路に二ヶ所あります。
三の丸には、搦手(からめて)となる裏門があります。山城跡北側は、屋根を二本の堀切で切 断しています。
また、谷間には井戸を作り、堤を築いて貯水池にしています。今も井戸の水は涸れません。
山城跡は、大永年間(1521~1527)までに築城され、火災後規模を大きくして再築城しています。
これが現在の中道子山城跡です。この山城跡は、近世城郭へと移り変わる過渡期の姿を残しています。
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オススメ ☆☆☆
難易度 ☆☆☆
アクセス ☆☆☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県加古川市志方町岡
- 通称
- 赤松城
- 形式
- 山城 (標高 271.6m/比高 240m)
- 遺構
- 曲輪、石垣、土塁
- 築城者
- 赤松氏範
- 主要城主
- 赤松氏
- 築城年
- 大永年間 (1521~1527)
- 廃城年
- 天正7年 (1579)
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- あり (登山口:無料)
- アクセス
- JR山陽本線『加古川駅』より 神姫バス/登山口前