歴史
御着城は永正16年 (1519)に小寺正隆によって築城された。
当時の播磨では大規模なお城であり、三木城、英賀城と並び播磨3大城の一つである。
天正5年(1575)、羽柴秀吉が中国地方攻略の一環で播磨を攻めると、小寺政職は家老・小寺孝高(黒田官兵衛)の進言により一度は織田方につくが、後に別所長治、荒木村重が信長に反旗を翻すとこれに同調。
天正7年(1579)、秀吉は三木城を支援していた播磨諸城を攻め御着城も落城した。
コメント
オススメ ☆
難易度 ☆
アクセス ☆☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県姫路市御国野町御着
- 通称
- 茶臼山城、天川城
- 形式
- 平城
- 遺構
- 土塁、堀、井戸
- 築城者
- 小寺政隆
- 主要城主
- 小寺氏
- 築城年
- 永正16年 (1519)
- 廃城年
- 天正7年 (1579)
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- あり (無料)
- アクセス
- JR山陽本線『御着駅』より 徒歩15分
- 姫路バイパス『姫路東IC』〜312号線〜国道2号線 約15分