この地は、かつて羽柴秀吉が別邸(鶴松亭)を建てた所で、江戸時代初頭は姫路藩領であったが、曲折の後、寛永14年(1637)に龍野藩領となった。万治元年(1658)、当時の龍野藩主・京極高和は四国の丸亀藩へ移封されたが、網干地区28ヶ村(1万石)だけは引き続いて京極家領となり、以来明治まで丸亀藩の飛地であった。
丸亀藩は、この地に網干陣屋を設け、代官・奉行などを配置していた。明治維新で建物は殆ど取り払われたが、門だけが残された。かつて揖保川の近くに西面して建っていた陣屋門は、明治3年(1870)この地に移築さえ、永らく興浜の壇尻庫として利用されていた。
現在の建物は、老朽化した旧陣屋門を参考にして、昭和62年度に改築されたもので旧に倣って軒丸瓦には京極家の家紋が用いられている。<現地案内板より>