荒砥城は今から約400年前に、この地を治めていた村上氏の一族である『山田氏』によって築かれた城(村上氏の本城・葛尾城の支城)で、郭が連なるように並んでいるところから『連郭式山城』と呼ばれています。
この時代は全国各地で戦が繰り広げられていた戦国時代という時代です。この地も例外ではなく、荒砥城と千曲川を挟んだ対岸の山頂に築かれた葛尾(かつらお)城の城主・村上義清は、上田原の戦い(1548)や砥石城の戦い(1550)では武田信玄との戦に勝ち、領地を守ってきましたが、武田軍の圧倒的な軍勢の前に、1553年ついに葛尾城は落城し、荒砥城もこの戦いで城主を失い、山田氏は滅亡してしまいます。
その後、川中島の戦い(1553~1564)を経て荒砥城は上杉氏の治める城となりますが、海津城(のちの松代城)の副将であった屋代秀正は上杉方に背き、海津城を出て荒砥城に籠ります。
1584年、上杉軍に攻められた荒砥城は落城して廃城となり、城としての役割を終えます。<現地パンフレットより>