高天神城は室町時代、駿河の今川氏が遠江侵攻の拠点として築いたとされ、戦国時代には駿河・遠江をめぐる武田氏、徳川氏の激しい攻防の舞台となりました。
元亀2年(1571)には、武田信玄が徳川方となった高天神城を攻めており、この時は大規模な戦闘は行われませんでした。
天正2年(1574)5月には、信玄の息子・勝頼が当城に攻め寄せ、徳川方の城主小笠原与八郎長忠(氏助)は1ヶ月程の籠城と激しい戦闘の末、開城し武田方に降っています。
その後、武田方となった高天神城は徳川家康の攻撃を度々受けることとなります。天正3年(1575)5月の長篠の戦い以降、勢力が衰えた武田氏は当城を支えきれず、天正9年(1581)3月22日、ついに落城しました。高天神城はその後すぐに廃城となり、現在に至っています。<現地案内板より>